札幌高等裁判所 昭和39年(行コ)1号 判決 1965年9月30日
控訴人 松田松次郎
被控訴人 厚生大臣 外一名
訴訟代理人 中村盛雄 外六名
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事 実 <省略>
理由
一、控訴人が、引揚者給付金等支給法にもとづいて、昭和三四年四月一一日頃引揚者給付金請求書を被控訴人北海道知事にあて提出したところ、同知事は、同三五年四月二八日付で、控訴人が同法第二条第一項三第号に規定する引揚者に該当しないと認定して控訴人の請求を却下し、その通知書が同年五月一六日控訴人に到達したこと、そこで控訴人は、被控訴人厚生大臣に対し右却下処分に対する不服申立をしたところ、同大臣は、右却下処分と同一の認定にもとづき、同三七年一〇月一九日付決定でこれを棄却し、その通知書が同年一二月一〇日頃控訴人に到達したことは当事者間に争いがない。
二、そこでまず被控訴人厚生大臣に対して裁決の取消を求める控訴人の訴の適否について判断するに、この点についての当裁判所の判断は、原審の判断と全く同一であるから、原判決の当該部分(ただし原判決四枚目表一行に「主張するにとどまる本件においては」とある部分を「主張するにとどまり、右裁決の手続上の違法その他裁決固有の瑕疵を主張しない本件においては」と訂正する。)を引用する。
(【註】原判決の引用部分-そこでまず被告厚生大臣に対し裁決の取消を求める原告の訴が適法であるか否かについて判断する。行政事件訴訟法第一〇条第二項によれば処分の取消の訴とその処分についての審査請求を棄却した裁決の取消の訴とを提起することができる場合には裁決の取消の訴においては処分の違法を理由として取消を求めることができない旨規定するが、右は特別法において特に原処分について出訴を許さず裁決に対してのみ訴を提起することができる旨を規定している場合を除き、原処分の違法は処分の取消の訴においてのみ主張することができ、原処分を正当として審査請求を棄却した裁決の取消の訴においては裁決の手続上の違法その他裁決固有の瑕疵を主張するは格別、原処分の違法を理由としてその取消を求めることはできない趣旨と解される。
これを本件についてみると被告厚生大臣のなした本件裁決は、被告北海道知事がなした原告の引揚者給付金請求を却下した原処分に対する原告の不服申立に対し原処分と同一の認定にもとずき原処分を正当として維持し不服申立を棄却したものであることは前記のとおり当事者間に争いがなく、しかも引揚者給付金等支給法には原処分について出訴を許さぬ規定はないのであるから、原告が単に原処分の違法を主張するにとどまる本件においては、原告は原処分の取消を訴求しうるだけで、原処分を正当として維持した裁決の取消を求めることはできない。すなわち、原告の被告厚生大臣に対する訴はその本案について判断するまでもなく不適法なものとして却下を免れない。)
三、つぎに被控訴人北海道知事に対する控訴人の請求について判断する。
成立に争いのない乙第二号証の五、七、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認め得る甲第六号証と当審における控訴人本人尋問の結果を総合すれば、控訴人は、昭和一〇年頃から北海道空知地方において炭鉱夫として働いていたが昭和一四年八月、北支軍嘱託宣撫班要員に応募して採用され、当時の住所地岩見沢に妻子を残して単身中国に赴き、翌一五年宣撫班の機構改革により新民会会務職員となり、河南省新民会訓練所の主任として中国における組織工作と宣伝強化の任に当り、同一八年右職務を解任されて後は、同地において東亜連盟運動者として政治的運動を行い、昭和二〇年五月釜山を経由して下関に上陸し、以後ひきつづきわが国に居住していることが認められる。
ところで引揚者給付金等支給法第二条第一項第三号は、その対象者を、昭和二〇年八月一五日まで引続き六ヶ月以上外地に生活の本拠を有していた者で、本邦に滞在中終戦によつてその生活の本拠を有していた外地へもどることができなくなつた者と規定するところ、当審における本人尋問において控訴人は、昭和一四年中国に渡つて以後は生活の本拠を彼の地に定め、昭和一九年頃は、中華民国河南省開封市城内捲棚廂街一六号がその本拠地であつたが、前認定の日時に出張のため下関に上陸してわが国に滞在中、終戦によつて右の生活の本拠地にもどることができなかつたとの趣旨の供述をしているけれども、右控訴人本人尋問の結果によれば、同人は中国に滞在中一度も妻子を呼び寄せることなく、前記政治運動をなす昭和一八年頃までは妻子の生活費を送金していたこと、控訴人が軍属であつた間の衣食住はすべて軍からの支給によりまかなわれていたこと、昭和一八年軍属としての職務を解職された後、控訴人が身を投じた東亜連盟運動は、その活動範囲が広汎であるとともに、個人の活動地域も一定の場所に限定されることなく、比較的自由にその地域を決定することが可能であり、そのため控訴人はたびたび日本内地に帰国し、その都度一、二ヶ月の期間滞在しそのなかばは妻子とともに生活し、その間に子を儲けたこともあることが認められ、更に成立に争いのない甲第二号証によれば、昭和一九年九月二一日大東亜省が控訴人に与えた中国への渡航承認書には、右当時の控訴人の住所として、岩見沢市上志文五、渡航目的として経済事情調査、渡航期間として昭和一九年九月二二日から同二〇年三月二〇日までという記載のあることが認められるのである。控訴人は当審における本人尋問に際し、右渡航承認書を入手した事情として当時控訴人は、中国からわが国に出張滞在中であつたところ、持参した帰途の渡航承認書を紛失したか、あるいはその期限がきれたため、知人である大東亜省事務官入交(いりまじり)某に依頼して渡航の便宜上発行してもらつたもので、そこに記載されている住所は、控訴人が宣撫班要員に志願した際の届出住所を適宜記入し、その余の事項も便宜的に記載されたものであるという趣旨の供述をしているところ、もとより昭和一九年当時は戦況が不利で外地への渡航は著しく困難であつたことは公知の事実であり、そのため特に渡航の必要緊急性を帯びる者に対しては政府機関等において便宜的な処置を講じたであろうことが推認し得るのであるが、控訴人の右供述に裏付けるべき確実な他の資料が存しない以上、公文書たる右渡航承認書のすべての記載が便宜的なものであると即断することはできない。また控訴人は、昭和二〇年五月の帰国が日本内地への出張であつたと主張するが、当審における控訴人本人尋問の結果によれば、そういう出張なるものは、あらかじめ期間や用務が確定されているわれのものではなく、場合によつては控訴人自身の自由な意思にもとづいて日本内地へ出張することさえ許されていたことを窺うことができる。
右認定の各事実を総合して考察すると、控訴人が中国において軍属としての前記職務に従事していたとき、あるいはその後東亜連盟運動者として活動していたときのいずれの時期においても、控訴人が長期問中国に滞在して生活していた事実は認められず控訴人の前記供述によつては控訴人が郷里岩見沢市とは別個に中国においてその主張の場所に生活の本拠を有したものと断ずることはできない。
次に右控訴人本人尋問の結果によつて真正に成立したものと認めることのできる乙第二号証の一、二及び成立に争いのない乙第二号証の三、五、六、七の各記載中には、控訴人の生活の本拠が中国に存したとの控訴人の主張に相応するような部分があるけれども、右乙第二号証の一、二中の控訴人の終戦前六ヶ月間の住所欄の記入は、控訴人自らがしたものであることは、右控訴人本人尋問の結果によつて明らかであるから、これによつては控訴人の右主張を認めることができないし、右乙第二号証の五、六、七中の記載も、控訴人が中国に居住していたことの証明として役立ち得ても、同地に生活の本拠を有していたことを認める資料とはなし難く、成立に争いのない甲第一号証中の岩見沢市長作成部分並びに弁論の全趣旨によつて真正に成立したことを認め得る甲第五、第六号証によつても控訴人の右主張事実を認めるには十分でなく、他に控訴人が中国において生活の本拠を有していて日本に掃国したのは一時的のものであつたことを認めるにたりる証拠はない。
そうだとすれば、控訴人は、引揚者給付金等支給法第二条第一項第三号所定の者に該当するということはできないから、控訴人の被控訴人北海道知事に対する請求はその理由がない。
四、しからば、控訴人の被控訴人厚生大臣に対する訴を却下し、被控訴人北海道知事に対する請求を棄却した原判決は正当であつて、本件控訴は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第九五条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 和田邦康 田中恒朗 右田堯雄)